三重県四日市市情報サイト |
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照 豆知識コーナー |
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| 【四日市市とは】 三重県の北勢に位置する市。国から特例市に指定されている。 本市は、三重県下最大の人口を擁し、中京工業地帯有数の工業地域である。近鉄名古屋線などが通ること から名古屋市への通勤・通学者が多く、郊外の団地は名古屋のベッドタウン化している(笹川団地、三重団地、 桜台、三滝台、あかつき台など、市内西部に位置するのが多い)。一方、三重県北勢地域の中心都市であり、 三重郡の各町、桑名市、鈴鹿市など近隣の市町から当市へ通勤・通学する者も多い。 現在特例市に指定されており、2005年2月7日に隣接する三重郡楠町を編入したことで人口が30万人を超えたため 中核市移行を目指しているが、2007年度中の移行は断念した。 楠町と合併して4年後の2009年現在でも中核市移行をしておらず、さらに中核市を移行する日も決まっていない。 古くは、東海道の宿駅(→四日市宿)で、伊勢神宮への分岐点となる日永の追分もある。市名は四のつく日に市が たったことに由来し、現在も各地で市が開かれている。 四日市ぜんそくの発生地として全国的にその悪名を轟かせてしまったが、現在は法整備や汚染防止技術向上などの 対策が格段に進み、工業地帯周辺の大気状態も良好になっている。郊外には田園や茶畑が広がる豊かな自然が望める。 江戸時代から蜃気楼が見られたことでも知られている。 |
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| 【四日市市の歴史】 古くはヤマトタケルノミコトが東征の帰途に通過したという伝説が残る。古墳時代から栄え、市内には土器窯や 土器片出土地が分布する。また、飛鳥時代には壬申の乱で大海人皇子が兵を集めたと言われる。 現在の四日市市街にあたる地域は、平安時代後期まではごく小規模な集落が存在するのみであった。しかし 鎌倉時代から室町時代にかけて建立された寺が多いことから、その頃に発展を始めたものと考えられる。 安土桃山時代:天然の良港によって回船業が発達し、市場が出来る。市場は『四』の付く日に開かれたため、 これが『四日市』の由来になったとされる。本能寺の変では逃亡する徳川家康を四日市の回船問屋が手助けし、その恩 として幕府の直轄領(天領)になったとされている。実際は家康自身が陸海の要地であると認めたためと考えられる。 江戸時代:天領である四日市に、四日市陣屋(代官所)や高札場ができ、北勢の行政・商業の中心地となる。 東海道の主要宿場として本陣や宿駅も設置される。日永追分も現在の四日市市内にある。 江戸末期、安政の大地震によって港が壊滅し、回船業が衰退していく。 市内の至る所で湧き水が出ていたため古来より「泗水」と呼ばれる。「三重郡の泗水」ということからこの周辺を 「三泗地区」と呼ぶ。現在では湧き水の場所も所在が不明になり、僅かながら井戸が残っている程度である。 現在の港の基礎は、幕末から明治初期に回船問屋の稲葉三右衛門(1837-1914)が私財を投じて整備した。周辺住民の 反対など様々な困難があったが、現在の四日市港の礎を造った偉人として、JR四日市駅前に銅像が建てられている。 |
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